プロデューサー 佐藤 健
ルーエは年間様々な行事をこなしています。年に一度の定期演奏会をはじめ、年に数回のマラソンコンサートと銘打ったミニコンサート、依頼演奏、ワークショップの開催、ルーエクラブ合唱団のバックアップ等々、多岐にわたります。中でも定期演奏会ともなると、企画、構成、予算組み、選曲、広報、宣伝、チケット販売、練習計画等に加え、バンドメンバー、ゲスト、音響、照明、写真、ビデオ、会場スタッフ等のプロとの交渉に至るまでスピーディに対処していかなくてはなりません。その為に約20年前に導入された仕組みがプロデューサー制です。
皆の意見の合議をもって持ち回りで役をしていたのではとても間に合わないので、全ての権限をプロデューサーに集め、その指示のもとに各専門スタッフが迅速に処理していくのが目的です。
前任カリスマプロデューサーから引き継いで私がプロデューサーになり、心機一転「新装開演」と銘打った第22回定期演奏会から早くも13年が過ぎました。
しかし、実際は指示を出すどころではなく、団長、マネージャーはじめ各役員の意見をどうにか企画にまとめていくのが精一杯です。
次から次へと問題が起こることもしょっちゅうで、リハーサルの段階で今年は失敗か?と思う時もあります。
それでも毎回どたばたしながらも終わってみれば、お客様から「今回が今までで一番よかった」というありがたいお言葉を頂くこともしばしばです。
毎回新しい課題があらわになり、途方に暮れることもしょっちゅうですが、アンケートをはじめルーエに寄せられるこのようなお客様の声には本当に勇気づけられます。
普段の生活や仕事で壁にぶち当たり、自信を無くしてしまうような時でも創立以来40年間お客様に応援頂き続けているルーエに関わっていられるということがどんなに力を与えてくれることか。そしてそう思うと、もっとお客様に喜んで頂き、感動して満足頂く為にはどうしたらよいかということに知恵を絞り、精進したくなるのです。
そしてこのことは仕事や家庭さらには人生においても基本であることに気が付きます。私にとってルーエとは、生きることの基本に気が付かせてくれるところです。
ゼネラルマネージャー 浜田 圭子
私は社会人1年目の年にルーエに入団しました。そして入団と同時に役員になり兼任でソプラノパートリーダーを担当後、技術部長を経て、現在ゼネラルマネージャーとして日々奮闘し ています。
マネージャーの役割は大きく分けて2つあります。1つは団の活動が円滑に進むように運営、事業に関するあらゆる事に目を配りその環境を整えること。もう1つの役割は外部との折衝、渉外業務です。これまでも、ルーエはたくさんの人達と出会い、支えられ、触発されて前進してきました。一個人としてではなく、ルーエのマネージャーとして対応するために常に俯瞰でものを見て判断する事、外部からの依頼を受けた時には、相手の意向に添って動いてみる事など、その都度色々な事を勉強する機会を与えていただき、様々なことを体験させていただいています。
今、ルーエでは団員拡充のためのワーク員が入ってきています。現時点では、1対1の対応になっていますが、新人を育てていく研修システムを作る必要性を感じています。
ルーエが社会の中で生きた集団としてあり続けるために、今後、法人化していくことも考え ています。そのための財政的な面はどうかというと、現在、定演会計である特別会計で多少のプラスがあり、運営資金である一般会計は、収支がほぼ均衡状態にあります。欲を言えばもう少し活動資金を充実させていく必要があるとも考えています。
何を壊して何を残さなければならないか。日々、悩み、考え続けています。
「見えなかったものがやがて見え、思えなかったものが思えるようになり、考えられなかったことが考えられるようになる。コール・ルーエとはまだ見ぬ自分を探し求める人達の集団である」(ルーエ憲章より)
まさに私はルーエと出会って考え方生き方を学んできました。
まだまだ未熟なところも多く、至らなさを痛感する日々ですが、40年という歴史を持つコール・ルーエのマネージャーとして関わることのできる幸運と充実感を有り難く思っています。
技術顧問 井上 登美子
人は生まれて自分の環境を認識し自分なりの人生を歩んで行く。そこにはたくさんの出会いがあるはずだが、その出会いを自分にどのように位置づけるかによって、その人の一生は大きく変わっていく。縁あって38年前にルーエに入団し、ソプラノ・アルトのパートリーダー、技術部長を経て二年前に技術部顧問に任ぜられた。その間に結婚、出産、子育てを経験し私の25歳からの人生はまさにルーエと共に存在する。もしもルーエに入団しなかったら今の自分とは全く違う自分になっていたと確信する。技術部顧問というポジションはルーエの43年という歴史でも初めてなので自分の置かれたポジションをどのように理解するのか模索中であるが、なるべく俯瞰に立ち、そしてまた、団員一人ひとりの目線に立って行動したいと思っている。孫を迎えるこの歳になっても、またひとつ上の自分を目指し、さらに前に向かって進みたいと思います。
技術部長 木村 典子
「NHKのど自慢にルーエのメンバーが出場してるんだよ」転居地で出会ったコール・ルーエ。入団のきっかけとなりました。日々の生活では経験出来ないたくさんの感動と出会いはとても楽しく充実していました。
結婚を機に10年余り団を離れましたが 団員の温かい言葉に背中を押され 休団後再開となりました。観る側よりステージに立ちたいと今日に至っています。
技術部指導の元、個人の責任としての参加でしたが平成26年度 パートリーダーの大役を受けて技術部会に参加する事になりました。
どれ程の時間を費やし話し合いを持ち団の活動を支えている事かと、改めて確認する事になり活動の重みを感じ、向き合う姿勢が大きく変化しました。
伝える難しさに向き合い2年が経ち、平成28年度 役員及び技術部長の重役を受ける事になりました。ルーエには「NO」はありません 。悩み考え1歩1歩前進の日々ですが、そこには知恵と経験を持ち合わせる、個性豊かな仲間がいつもそばにいてくれます。
課題は山積みですが、大変と思えば苦しく、関われる喜びと感ずれば楽しく幸せに思えます。様々なアドバイスを頂いて、現在の自分に成長させて頂いたのだと実感しています。
夢にも思わなかった技術部長を任されている自分がいます。仲間作りに踏み出した1歩でしたが、今では私にとってコール・ルーエは、日々後退しそうな日常を前向きに成長させてくれる大切な人生勉強の場所です。感謝を忘れず、力不足ではありますが 大切な仲間と共に歩んで行きたいと思う毎日です。
楽器部長 加藤 秀子
私が入団した年は1999年。コール・ルーエは、その翌年に創立25周年の記念演奏会で積年の夢であったデューク・エイセスとの共演 を果たし、いわゆるルーエ第3章の暁の時期と重なっていました。ピアニストとして入団した私は当初、音大を卒業したもののポップスに全くの知識もなく、4ビートとは4拍子のこと!と公然と発言するような後輩でした。思い返すと本当に穴があったら入って出られないような醜態を内外問わずにさらし、どれだけ先輩団員の肝を冷やしたことでしょう。今、楽器部長として、また役員としての役割になった今日までの日々を話せば一晩では足りないくらいですが、ルーエの真骨頂―音楽という枠に留まらない無尽蔵なエネルギーによって生かされてきたのだと痛感しています。
コール・ルーエは独自のポップス・コーラスという未開の地に、小さな灯をともしました。
そして40年かけて少しずつそのジャンルを確かなものにしてきました。その足跡には、一流の人々との出会いや親交が深く刻まれています。
明治大学の民族音楽研究家の江波戸昭教授(1932~2012)は、ルーエに大きな影ルーエ40th ディスコグラフィ楽器部長 加藤 秀子響を与えて下さった方の一人です
アンデスの山ではお酒が高山病の特効薬になり、激辛の唐辛子で紹興酒に酔い、平均律の西洋音楽より土着の音律を愛する教授の周りには一流の奏者が集いました。
その奏者の中で、口琴の直川礼緒さんやレクの和田啓さんが定期演奏会に出演して下さいました。
地方都市において、世界で太古の昔から息づく人間の営みと密着してきた音楽をリアルに発信する演奏会は日本中を探し歩いても、なかなか出会うことが出来ないものかもしれません。
さらに、NHKの「歌謡コンサート」でコンサートマスターとして毎週ご出演の工藤春彦さんやデューク・エイセスからご紹介頂いたピアニストの天野一平さんも、バンドメンバーとして強力な布陣となってご協力下さっています。
時は、2015年の3月。春近き柔らかな風が吹き、暖かい日差しが日に日に増しています。
ルーエ第4章の暁です。いつでも何かを仕掛け、人の心を動かし、人を巻き込んでいく力強い風に乗って、ルーエ丸はまだ見ぬ地を目指し、航海を続けていきます。